里山であそび、里山を守り育てよう
産業廃棄物や残土で埋められていく谷戸や、耕作や管理をやめて人がかかわらなくなった田畑や山林を昔の姿によみがえらせ、里山での子どもの遊びや昔からの文化を残そうと、平塚市土屋字寺窪の山林を借り受け、平成12年10月に発足しました。
コメや野菜を育てたり、取れた農作物をおいしくいただいたり、雑木林の下草刈りなどの作業に「あァ一日楽しかった。いい汗をかいた」と皆さん満足な表情です。
子どもたちは、自然のつるで「タ一ザンごっこ」、木の実や昆虫探しに夢中になっています。活動には会員だけでなく一般市民や大学生も参加、地域の活動にも積極的に参加しています。
コメや野菜を育てたり、取れた農作物をおいしくいただいたり、雑木林の下草刈りなどの作業に「あァ一日楽しかった。いい汗をかいた」と皆さん満足な表情です。
子どもたちは、自然のつるで「タ一ザンごっこ」、木の実や昆虫探しに夢中になっています。活動には会員だけでなく一般市民や大学生も参加、地域の活動にも積極的に参加しています。
農産物を育て、里山を楽しむ
水田でのコメ作り、カボチャを育てたり、ソバや麦を栽培して粉にしてソバやうどん打ちをします。育てたナタネから絞った油で野菜や川魚の天ぷらを揚げておいしくいただきます。
農産物の栽培、収穫、それを使った料理など、里山の自給自足をエンジョイします。
子供たちの遊び場として
いつのころからか、郊外に住んでいる子供たちでさえも、近所の自然の中で遊ぶことがなくなってしまいました。平成17年度からは「子どもさんたちを本物の自然の中で遊ばせてください」と市内の小学校、幼稚園、保育園などに呼びかけて、平成17年度は10団体 375名、平成31年度は延28団体 2,416名が平日に訪れ、里山のさまざまな遊びを体験しています。
落ち葉の坂すべり、ツリーハウス、崖の上り下り、湧水池で生き物を見つけたり、里山で昔の子供たちが遊んでいたように、自然の中でのびのびと遊ばせましょう。
地域や市民・学生といっしょになって
コメ作りなどの農業生産、食生活を中心とした日本の伝統、里山での人間の活動と自然との共存、生物多様性をはぐくむ環境の保全など、市民や次の時代を担う若い人たちにも作業体験をつうじて里山の持つ多面的な機能を知っていただくことも大切です。
また小学生・中学生の自然環境学習や自然体験学習の場としても活用をすすめています。
会独自の活動のほか、土屋地区での各種行事、行政と連携した行事「里山再生ブロジェクト」や「子ども環境教室」などに全面的に協力しています。
里山保全の交流会や研修会
会の概要
会の名称 | 里山をよみがえらせる会 |
県認定 | 「里地里山活動協定に基づいて活動する団体」認定団体(神奈川県里地里山の保全、再生及び活用の促進に関する条例) |
受賞実績 |
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活動拠点 | 里山体験フィールド (神奈川県平塚市土屋字寺窪) |
里山体験フィールド協定地・借地面積 | 田んぼ(うるち米、もち米、マコモダケ)2,500㎡ 潅水田(ビオトープ等) 2,000㎡ 畑(ふれあい農園)10,000㎡ 山林・竹林(ツリーハウス、シーソー等)2,000㎡協定地・借地総面積 26,500㎡ |
会員数 | 64名(令和6年3月) 特別会員として7名の地権者のかたに農地を貸与いただいております。当会活動へのご理解とご協力に厚く御礼申し上げます。 |
会則・運営
毎年3月に総会を開催し、前年度の総括と新年度の行事計画を決めています。役員と運営委員の計14名(令和6年3月現在)で運営委員会を構成し、会合を定期的に開催して、行事詳細の決定や日程の調整などを行っています。その内容は、このホームページ、電子メール、体験フィールド入り口の掲示板などで会員の皆さんにお知らせしています。
設立からの歩み
昔の子供たちが泥んこになって遊んだ里山も、高度成長期から二十世紀の終わりにかけて、山の手入れをしなくなってから雑木林も荒れていくとともに、かつては谷戸や丘陵地に広がっていた田畑も耕作放棄地が増え荒れ地となっていきました。都市近郊の山や谷では、土地の所有者が業者のたくみな言葉に乗せられて、いつしか廃棄物や工事で出た残土をダンプで運んでくるごみ捨て場と変わりつつありました。
中学・高校の英語科教員を務め、退職後は地元で英語塾を開いていた神奈川県平塚市土屋の小清水四郎氏は、趣味の登山で全国の自然に親しんでいましたが、子供のころにあそんだ地元の里山が荒れていくことに危惧をおぼえ、その保全が必要であること、それとともに里山での子供たちのあそびや人々の暮らし・文化を次の世代に引き継いでいこうと考えました。
中学・高校の英語科教員を務め、退職後は地元で英語塾を開いていた神奈川県平塚市土屋の小清水四郎氏は、趣味の登山で全国の自然に親しんでいましたが、子供のころにあそんだ地元の里山が荒れていくことに危惧をおぼえ、その保全が必要であること、それとともに里山での子供たちのあそびや人々の暮らし・文化を次の世代に引き継いでいこうと考えました。
平成12年(2000年)に、小清水氏が発起人の中心となって「里山を蘇らせる会」を発足。氏が呼びかけた地元土屋地区の11人で、寺窪の山林を借り受けての活動が始まりました。会員による山林整備と、「声高に自然保護を叫ぶよりも、まずはみなさんに里山に足を運んでもらう。その活動の広がりが大切」ということで体験を基本とした活動をすすめました。今では「satoyama」という横文字で世界にも通用する単語・概念となっていますが、発足当時はまだこういった活動の認知度も低く、県の条例も整備されていない中での自発的・先駆的な活動でした。
発足5年後には近くの水田も借りて稲作も開始、会員数も増えて活動も定着していきました。平成25年に小清水四郎氏は逝去されましたが、発足から20年を過ぎた今も発足当時の精神を引き継いで活動しています。