設立時の趣意書

趣意書(10周年記念誌より転記)
 昭和30年代からの高度経済成長は、農村の社会構造までもすっかり変えてしまいました。その中の一つに里山があります。今、私たちの家庭でのエネルギーの中心は石油、プロパンガスや電気ですが、以前は山から得られる薪(まき)や木炭でした。これを「もし木」とよんでいました。
 農家では、この「もし木」を一年中確保していけるように、クヌギやコナラ等(雑木)の幹を冬(11月~2月)までに伐りました。これを「まきやま」と言ってました。春になると、その伐り株から数本の芽が出てきて、2~3年して下草刈の時に2~3本残して「めかき」をしました。残された若木は2~3年で又、薪炭材に適した太さになり、これを伐採して家庭の燃料として何百年ものあいだ利用してきました。
 子供たちは4月3日~4日見晴らしのいい「まきやま」された場所を選び「お花見」をしました。これを仕切るのは小学校の最上学年で「ガキ大将」ともいわれていました。ヨチヨチ歩きの幼児までの異年齢の子どもたちの仲間集団が、どこの地域社会にも幅ひろく存在していました。春には山菜が、秋にはキノコが採れ、子供たちは四季を通じて、山をかけがえのない遊び場としていました。
里山は台地、尾根、そして斜面の林から成り立っています。これらの木々が貯えた雨水が谷戸に流れ湿地を作り、さまざまな生物を育てています。谷戸は生物の宝庫です。今は里山がなくても、生活できる社会です。山から燃料を採る必要がなくなりました。人間がかかわらなくなった里山は、荒れ放題です。地域の人達と深くかかわってきた里山は人間が関与してはじめて、美しい自然風景が維持されます。

 このような昔の里山を復元するには、大変息の長い話になると思いますが、今誰かがやらなければ土屋地区の里山全部蘇らすことは不可能ですが、一ヶ所でもよい、昔の里山を残しておきたい。幼いころ里山で遊んだ子ども文化を残したい・・・・。発起人 小清水 四郎 (山を愛する会)
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